は刀槍《とうそう》を好んで、かくは一流を開きましたなれど、内心はこれを欣《よろこ》ばれぬじゃ。わが後の者必ず武芸を学ぶべからずとあって、武器兵器はことごとく人に授けて、この寺へは一本も留め置かぬ。されば道場の名は残るといえども、覚禅房限りで、表面この流儀の跡が絶えたわけでござる」
「かく覚禅房は出家として、武芸を後に残すことを好まれなかったが、門下には錚々《そうそう》たる豪傑《ごうけつ》がおったじゃ。まず、権律師禅栄《ごんりつしぜんえい》というのが、やはり当寺の僧徒で希代《きだい》の達人、これが宝蔵院のあとをつぎ申して、相変らず槍をやっておられたようにござる。一方、俗人の方においては中村市右衛門尚政という者が、これが宝蔵院覚禅房|直伝《じきでん》じゃ。いま天下に行われる当流の槍は、この中村の流れを汲むが多いということである」
 案内の僧は慣れていると見えて、息をもつがず滔々《とうとう》と述べ立てましたから兵馬は、
「このあたりにて、宝蔵院流の槍をよくする御仁《ごじん》は誰々でござろうな」
と尋ねてみると、
「さればさ……」
 案内の坊さんは少しく首をひねり、
「当今、伊賀の名張《なばり
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