》に下石《おろし》というのがある、これに宝蔵院流正統が伝わっているという話じゃ、愚僧《わし》は詳しいことは知らぬ、それにまた、術の妙を得た人には、この近いところ――」
 坊さんは顋《あご》で、南の方をしゃくって、
「三輪大明神の社家《しゃけ》に、植田丹後守というのがござる、これが当流の槍をなかなかよく使うそうじゃが、これもいっこう噂《うわさ》ばかりで、誰もその実際を見たものはないと申すことじゃ」
「何と申されました、三輪大明神の社家で、植田丹後守殿?」
「左様、植田丹後守。なかなか学問もある。武芸修行ならば、ひとたびは訪ねてみて御覧《ごろう》じろ」

         十五

 宇津木兵馬が植田丹後守をたずねた時、植田の邸は何か非常に取込んでいるようでしたが、それでも丹後守は兵馬の訪問を拒《こば》まずに座に通して、武術の話をしました。
「お若いに近ごろ殊勝《しゅしょう》でござる。して、剣道の御流儀は何をお究《きわ》めなされましたな」
「幼少の頃、甲源一刀流を少しばかり。数年以前より直心陰《じきしんかげ》の流れを汲みまして、未熟者《みじゅくもの》相当の修行中でござりまする」
「ナニ、甲源
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