ん》と鉄砲の音! つづいて、人の絶叫!
 竜之助は七兵衛を捨てて無二無三に馬を前へ走らせた。

 薬屋源太郎だけ、ただ一人、道の真中に打倒れている。
 その乗った馬は向うの樹の根に身震いして立っているが、馬子の姿は見えない。
 お豊に至っては、馬も馬子ももろともに、どこへ行ったか見えないのである。
 竜之助は馬から飛び下りて、源太郎を抱き上げた。
 弾丸《たま》は股《もも》を貫《つらぬ》いたらしく、大した傷ではないけれども、驚きのあまりに気絶している。
「源太郎どの、源太郎どの」
 呼び生かすと、
「むむ」
「気を確かに、傷は浅い」
「ああ……吉田様、早く、お豊を早く……」
 源太郎は気がつくと直ぐに、手を上げて藪《やぶ》の彼方《あなた》を指すのであった。思い設《もう》けぬ不覚である。道中かかることの万一にもと、丹後守が心添えして附けられたものを、まだその国許《くにもと》を離れない先にこの有様では、なんと申しわけが立つ。人に申しわけではない、大切の守り人を眼前に奪われて、武術の冥利《みょうり》がどこにある。
 そればかりではない、お豊は奪われてならない人である――物に冷やかな竜之助も歯
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