丹後守が取り上げた拳銃は、全く類の見えなかった洋式のものであります。内山は、先生が妙なものを持っていると怪訝《けげん》な面《かお》に、その拳銃を見つめます。内山が不思議がるのもその道理で、これは「引落し式」と名づけられた前装の六連発であります。これと同じ品が嘉永六年、ペルリ来朝の時、武具|奉行《ぶぎょう》の細倉謙左衛門に贈られたことがある。鉄砲がはじめて日本へ来たのは、天文十二年(或いはその以前)ということであるが、拳銃が日本へ来たのは、この時がその最初でありました。
今、丹後守が取り出したのは、まさにそれと同じ型のものであります。
どうして丹後守が、そんなものをいつのまに手に入れたか、それさえ不思議でありましたが、丹後守という人は、春日《かすが》の太占《ふとまに》を調べるかたわらには阿蘭陀《オランダ》の本を読み、いま易筮《えきぜい》を終って次に舶来《はくらい》の拳銃を取り出すという人であります。
それで、右の拳銃を右手に取り上げて眼先へ伸ばし、
「内山殿、その簾《すだれ》を捲き上げていただきたい」
「心得ました」
簾を上げると庭である。
「あの植木鉢をひとつ、打ってみましょう
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