を見ると、ただ一人、この小野の榛原《はいばら》を東から歩み来る旅人があります。
「ドレドレ」
「それ、覘《ねら》いをつけてみろ」
「うむ」
 金蔵は鉄砲を取り直して構えてみたが、支え切れないと見えて、小土手へ銃身を置いて、目当《めあて》と巣口《すぐち》を真直ぐに、向うから来る旅人に向けてみましたが、
「やあ、速い、速い、恐ろしく足の早い奴だよ」
 なるほど、向うから来る旅人の足の速力は驚くべきものです。土手へ鉄砲を置いた時に弥次郎兵衛ほどに小さかった姿が、巣口を向けた時は五月人形ほどになり、速い、速いと驚いた時は、もう眼の前へ人間並みの姿で現われています。
「まるで、飛んで来るようだ、こりゃ天狗《てんぐ》だ、魔物だ」
 さすがの二人が呆気《あっけ》にとられているうちに、眼の前を過ぎ去って、並木の彼方《かなた》へ見えなくなってしまいます。
「驚いたなあ! 足の早い奴もあればあるものだ」
 人相の悪いのが苦笑《にがわら》いをする。
 しばらく無言で、二人は旅人が過ぎ去った方の路を、やはり木の葉の繁みから一心に見つめていたが、
「それ、来たぞ!」
「やあ、やあ」
 金蔵は声と共に胴震《どうぶ
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