これとほとんど時を同じゅうして机竜之助は、植田丹後守にいろいろと高恩の礼を述べて、これも関東へ発足の日取りをきめました。
出立の前の日、薬屋源太郎が丹後守へ挨拶に出て、
「あれも、お蔭をもちまして、明日、故郷へ送り返すことに致しましたから……」
一通りの暇乞いの話を聞いた植田丹後守が、
「わしがところにおる吉田竜太郎と申される御仁《ごじん》が、これも近いうち関東へ立つ、次第によりて同行を願うてみたら――」
十三
式上郡から宇陀郡へ越ゆるところを西峠という。西峠の北は赤瀬の大和富士《やまとふじ》まで蓬々《ぼうぼう》たる野原で、古歌に謡《うた》われた「小野の榛原《はいばら》」はここであります。
西峠は一名を「墨坂」という、「墨坂」の名は古代史に著《あら》わる。「鳥立《とだち》たづぬる宇陀《うだ》の御狩場《みかりば》」というのは宇陀の松山からかけて榛原より西峠、山辺郡に至るあたりを言うたものらしい。
古《いにし》えの「禁野《きんや》」、推古の朝《ちょう》の薬狩《くすりがり》のところ、そこを伊勢路へかかって東海道へ出る道と、長瀬越えをして伊賀へ行く路とが貫いて通
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