蔵ではないか」
「はい――」
 物影は非常なる驚きで、バネのように飛び上ったのでしたが、わなわなと慄《ふる》えて逃げる気力もないもののように見えます。
「何をしている」
 丹後守は、押して穏かに問う。
「へえ……へえ」
「それは何じゃ」
 人影が藍玉屋の金蔵であることは申すまでもありません。
 丹後守に指さされたのは金蔵が、幾度も穴へ入れたり出したりしてみた、かの徳利でありました。
「へえ……これは……」
「これへ出して見せろ」
「へえ、これでございますか……これは」
 金蔵はおそるおそる徳利を取って、丹後守の前へ捧げます。丹後守は、手に取り上げて見ると徳利のように見えても徳利ではありません。長さおよそ一尺ぐらい、酒ならば一升五合も入るべき黒塗り革製の弾薬入れであります。
「金蔵、これはお前のか」
「はい……」
「お前は、鉄砲を持っているか」
「いえ……人から借りました」
「借りた――飛び道具は危ないものだぞ、これはわしが預かる」
「へえ……」
「もう、あるまいな、まだこんな物が家にあるか」
「もう、ありませぬ」
「よし」
 丹後守は弾薬入れを取り上げて、小言《こごと》も何も言わずに行
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