がけの姿に気を置いて、少し落着かぬように、まだ縁へは腰を下ろさないで、団扇を片手で綾《あや》なしながら、ちょっと蚊遣火の方に眼をそむけた横顔を、竜之助はちらと見て、むらむらと過ぎにし恋の古傷に痛みを覚えるのでありましたが、すぐにいつもの通り蒼白《あおじろ》い色を行燈《あんどん》の光にそむけます。
「あなた様も、お留守居でございましたか。先日はどうも……」
「あれから、なんとなく、まだ話し残しがあるような。ほかに御用向がなければ……暫《しば》しそれへおかけなさい」
「はい、有難う存じます。こちら様へ上りましてから、まだ御挨拶も申し上げませぬ、済みませぬと思いましても、つい人目がありますので……」
 お豊は、竜之助に向って何か言ってみたいようでもあるし、言い淀《よど》んでいるようでもあります。
「実は拙者も……」
 竜之助は取ってつけたように、こう言って、またお豊の横顔を見ながらしばらく黙っていましたが、
「拙者には兄弟はないが、どうやら死んだ家内にでも会うような……そなた様を見てから、そんな気分も致すのじゃ――これはあまり無躾《ぶしつけ》ながら、不思議なめぐり会いが、ただごとでないように
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