行ってしまっています。
 その残ったなかの男の一人は、机竜之助で、もう一人は久助という年古く仕えた下男であります。
 竜之助は縁端《えんばな》へ出て、久助がさきほど焚《た》きつけてくれた蚊遣火《かやりび》の煙を見ながら、これも先刻、久助が持って来てくれた三輪の酒を、チビリチビリと飲んでいました。
 いつでも寝られるようにと、久助は蚊帳の一端を吊《つ》りっぱなしにしておいて、蒲団《ふとん》なども出しておきました。籠行燈《かごあんどん》の光がぼんやりとしているところで、竜之助は盃をあげながら、
「なるほど、この酒は飲める、処柄《ところがら》だけに味が上品である」
と独言《ひとりごと》を言います。
 三輪の酒は人皇《にんのう》以前からの名物である。ここにまた古典学者の言うところを聞くと、
「ミワ」は、もと酒を盛る器《うつわ》の名であった、太古、三輪の神霊はことに酒を好んで、その醸造の秘術をこの土地の人に授けたという。また一説には「ミワ」は「水曲《みわ》」である、初瀬川の水がここで迂廻《うかい》するところから、この山にミワの山と名をつけた、それが社の名となり、社を祭る酒の器の名となった、土地の
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