をかくすと、藍玉屋《あいだまや》の金蔵が、いつ隠れていたか杉の蔭からそこへ出ています。
「何か御用でございますか」
「あの、お豊さん、この間わたしが上げた手紙を御覧なすったか」
「いいえ」
「見ない? 御覧なさらない?」
 金蔵の様子が、なんともいえず気味が悪いので、
「あの、今日は急ぎますから」
「まあ、お待ちなさい」
 金蔵は、お豊の袖を抑《おさ》えて、
「その前の手紙は……」
「存じませぬ」
「その前のは……」
「どうぞ、お放し下さい」
「では、あれほどわたしから上げた文《ふみ》を、あなたは一度もごらんなさらないか」
「はい、どうぞ御免下さい」
 袂《たもと》を振り切って行こうとする時に、金蔵の面《かお》が凄《すご》いほど険《けわ》しくなっていたのに、お豊はぞっ[#「ぞっ」に傍点]として声を立てようとしたくらいでしたが、
「わたしは、日蔭者の身でございますから、御冗談《ごじょうだん》をあそばしてはいけませぬ」
 お豊は、丁寧に詫《わ》びをして放してもらおうとすると、金蔵は蛇がからみ[#「からみ」に傍点]つくように、
「お豊さん、お前は、今ここで何をしていた、あの武士《さむらい》は
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