らけになって起き返ると、
「覚えてやがれ」
田の中を逃げて行きます。
小盗人《こぬすっと》!
もとより歯牙《しが》にかくるに足らず、竜之助は邸へ帰った時分には、そんなことは人にも話さなかったくらいですから道で忘れてしまったものと見えます。けれどもこれ以来、忘れられぬ恨《うら》みを懐《いだ》いたのは投げられた方の人であります。
泥まみれになって自分の家の井戸側へ馳《は》せつけたのは、かの藍玉屋《あいだまや》の金蔵で、ハッハッと息をつきながら、
「口惜《くや》しい! 覚えてやがれ、御陣屋の浪人者!」
吊《つ》り上げては無性《むしょう》に頭から水を浴びて泥を洗い落して、
「金蔵ではないか、何だ、ざぶざぶと水を被《かぶ》って」
親爺《おやじ》が不審がるのを返事もせずに居間へ飛び込んで、
「早く着替《きがえ》を出せ、寝巻でよいわ、エエ、床を展《の》べろ、早く」
さんざんに下女を叱《しか》り飛ばして、寝床へもぐって寝込んでしまいました。
この藍玉屋は相当の資産家であるから、その一人息子である金蔵が、まさか盗みをするために人の垣根を攀《よ》じたわけでないことはわかっています。竜之助の
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