噛《か》んで尊皇攘夷《そんのうじょうい》を絶叫するなんという勢いになれるはずがないのです。ただ、あの喧嘩の一幕を納めた松本奎堂の意気が面白い。
「どうじゃ、吉野の方へ遊びに行かんか」
「行ってもよい」
これで相談が纏《まと》まって、彼は一行の中に加わって、またも大和の国へ逆戻りをして来たものです。
けれども、竜之助の大和の国へ逆戻りをして来た縁故がただこれだけであると思うのもあまりに淡泊《たんぱく》であります。
宿に着いて、風呂を上り夕飯も済んで例の浪士どもは、慷慨悲憤《こうがいひふん》の口調で、国事の日に非なるを論じ合っていたが、竜之助はそれに拘《かかわ》らず外へ出ました。
彼は深い編笠の紐を結びながら、桜井の宿を出て初瀬河原の方へ行く。天はうすら曇って月は朧《おぼろ》のようだ――かの仮橋を渡って微行《しのびゆ》く机竜之助はどこへ行くつもりであるか。
竜之助は三輪へ行くつもりで初瀬川の橋を渡って、ちょうどかの地蔵堂の竹藪《たけやぶ》のところまで来かかりました。天にはやはり月がある、地には露がある、蛍は露をたずねて飛ぶ、人は情に引かれて忍ぶ。
竜之助は、今、河原の地蔵堂の
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