あ殺して下さい」
「ナニ、殺せ? よし殺すとも」
 金蔵は短刀の鞘《さや》を払って、お豊の胸元を左の手で掴む、お豊は争わず。こうなってみると、無茶な金蔵にも刃《やいば》が下せない。
「お豊さん、殺される命なら、ナゼ生きた身体をわしにくれないのだい……同じことじゃないか、生きていた方が割がいいじゃないか」
「金蔵さん、もうそんなことを言わないで、早く殺して下さい」
「殺す、殺すには殺すが……お豊さん、もう一ぺん考えてみておくれ」
「わたしは死んだほうがようござんす」
「死んだ方がいい? ああ、なぜお前はそんなにわからねえのだ。よし殺す……そうしてお豊さん、わしは、ここでお前を殺しておいてね、薬屋の家へ火をつけるよ、それから、陣屋の植田へも火をつけるよ、その上に三輪の神杉へも鉄砲の煙硝《えんしょう》を振りまいて火をつけるよ、そうして薬屋の者も丹後守の奴めも、殺せるだけ殺して、わしはその火の中で焼け死ぬのだ、いいかい――」
「まあ、金蔵さん――待って下さい、待って下さい、金蔵さん」
 お豊は今となっては、金蔵の手を抑《おさ》えて、
「金蔵さん、お前は、わたしの命を取っただけでは堪忍《かんにん
前へ 次へ
全115ページ中107ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング