つように覚えた。というのは、さいぜん芹沢につかまってからの怖ろしさと、黙って酒を飲んでいるこの怪しい武士の前にいる怖ろしさとは、怖ろしさが違う。
「この人は幽霊ではあるまいか」
とさえ思われたくらいで、席が静かになるにつれて行燈《あんどん》が薄暗くなる、その影で吐息をつきながら、一口飲んでは置き、唇まで持って行っては止め、首を垂れてみては、また屹《きっ》と刎《は》ね返し、座の一隅に向って眼を据《す》えるかと思えば、トロリとしてお松の面を見る。
その怖ろしさは、総身《そうみ》に水をかけられるようで、ゾクゾクしてたまらないくらいです。
「そ、そこへ来たのは誰だ」
竜之助は、お松の坐っている後ろの方へ眼をつけて突然こう言い出した。
「え、誰も……どなたも来ておいではございませぬ」
お松は、身を捻《ね》じむけて、後ろを顧みながら答える。
「そうか、それでよい」
竜之助はぐったりと首を垂れて、
「うーむ」
という吐息。
「あれ、幽霊が――」
お松は何に驚いたか――
「ナニ、幽霊?」
竜之助は勃然《ぼつねん》と、垂れた首を上げる。
「ああ、怖かった、今ここへ――」
「ナニ、今ここへ何が
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