うし》もない詩吟で、廓の風情《ふぜい》も台なし、いよいよ世は末じゃて」
井村は柄《がら》にもない慷慨《こうがい》をして、ハハと笑い、
「さあ、これから拙者が、投節くずしというのを歌うて聞かせる――まあ、宇津木、そう固くならずに一杯飲め」
盃を兵馬の前につきつけた時、兵馬は、その盃を受けて井村の方に向き直り、
「井村、実は君に聞きたいことがある」
「何だ、改まって」
「貴殿の手に傷がある、その傷はどこで受けた、それが聞きたい」
「ナニ、この傷?」
盃を出す手先を、ずっと見られてしまったから、もう隠しても遅い。
「これは、ちょっとした怪我。稽古槍を受け損じた」
「それはいつわりだ」
兵馬は、一膝つめよせる。
「いつわりとは何だ」
井村は眼に角立てて、刀をそろそろ引き寄せる。
「稽古槍の怪我ではあるまい、真剣の創《きず》であろう!」
「なに! 真剣の創?」
「そうだ、井村、貴様は四条通りの菱屋《ひしや》という商人を知っているはずじゃ」
「菱屋? それがどうした」
井村が刀をつかんで気色《けしき》ばむので、溝部もそれに加勢をするつもりで刀を取り上げて眼の色を変える。
兵馬も刀を取
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