うし》の刻《こく》、あんまり行《ゆ》く末《すえ》来《こ》し方《かた》のことが思われて、七兵衛待遠しさに眠れないので、お松は、かねて朋輩衆から聞いた引帯《ひきおび》の禁厭《まじない》のことを思い出した。それは、夜の丑の刻、屋根の上の火の見へ上って、待つ人の家の方に向い平縫の帯を投げかけて、自分はその端を持って、振向かずに火の見を下りて来る、その帯が物へひっかからず無事に自分の部屋まで来ることができれば、その待ち人は、きっと来るに違いないということ。
お松は、それをやってみようと心を決めて、そっと帯を出して、この部屋を忍んで、二階から火の見へ出てみました。
空は星が高く、葛野郡《かどのごおり》へ銀河が流れる。一二軒、長夜《ちょうや》の宴を張った揚屋の灯《ひ》も見えるが、そのほかは静かな朱雀野《すざくの》の夜の色。
火の見に立って、お松はその帯を投げかける何《いず》れかを見廻したけれども、七兵衛の宿というのを聞いておかなかったから、やはり出るにも入るにも大門の方。
別れてもまた会うという意味の引帯を、お松は朋輩から聞き覚えたように、大門の方に向って投げかけて、
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