わず身が固くなる。しかもその話の主《ぬし》の一人は、さいぜん自分を呼びつけた芹沢鴨のようです。
「それから、吉田氏」
というのは、やっぱり芹沢鴨に相違ない。お松は次の間の私々話《ひそひそばなし》をいやでも立聞きしなければ済まないことになったので、息を殺していると芹沢は、
「いよいよ近藤を片づけたら、次には君に引出物《ひきでもの》がある」
「引出物とは何だ」
「兵馬の首だ、宇津木兵馬の首を拙者が手で取ってやる」
「兵馬――なんの」
 芹沢でない一人は、冷やかに言い切った。
「君は兵馬を小倅《こせがれ》と侮《あなど》っているが、なかなかそうでないぞ、あれほどに腕の立つ奴は、新撰組にも幾人とない」
「…………」
「始終、君をつけ覘《ねら》っている、兵馬一人ある以上は、君の身は危ない」
「今、どこにいる」
「つい、この近いところにいる」
 広間の方で哄《どっ》と喊声《かんせい》が起る。ここで二人の私話《ささやき》は紛《まぎ》れて聞えなかったが、暫くして、
「よし、やがて合図をする、相手が相手だからずいぶん抜からず」
 芹沢はこう言って席を立とうとするらしい。
「念には及ばぬ」
 やがて、刀を提げる音、サワサワと鳴る袴《はかま》の音。
 一旦立ち上った芹沢は、
「今いう御雪というのは、素敵な美人じゃ、近藤を片づけたら、君に取持とう、君も女房が死んで淋しかろうからな」
 怖ろしい人々である。どうやら近藤勇を殺し、兵馬を殺し、近藤の思い者、御雪太夫を横取りする……お松はこの上もない恐ろしい相談を聞いてしまった。
 幸か不幸か、芹沢はお松が潜《ひそ》んでいた方の襖《ふすま》を颯《さっ》とあける。
「誰だ、そこにいるのは!」
「はい、私でござります」
 お松は逃げ場を失ってしまった。
「何をしている」
「あの、つい気分が悪いので、ここで息を休めておりました」
 芹沢は、近寄って、
「お松ではないか」
「はい」
「うむ」
 芹沢は思案して、跪《ひざまず》いているお松の手をとって、
「拙者と一緒に来い」
「まだ、あの、お座敷の方に用事がありますから」
「用事があってもよい、一緒に来い」
 お松は、手をとられて、羽掻締《はがいじ》めのような形。芹沢は左の手に刀、右の小脇に軽々とお松を抱えて、
「聞いたな」
「いえ、なんにも」
「聞いてもよいわ、お前ならば聞かれても大事ない」
「どうぞ、御免
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