相撲《すもう》ならば四ツに組んだので、水を入れ手がない以上は、取り疲れて、死ぬまで組む。力限りの争いかと見れば、意外にも今度は、目に見えないほどずつ竜之助の太刀先が進む。進み、進むと、壮士は脂汗《あぶらあせ》をタラタラと、再び中段にしてジリジリと退く。その退くこと五分なれば、竜之助の進むことも五分、一寸なれば一寸。
音もなく飛んだ刀は壮士の小鬢《こびん》をかすめて、再び刃の音の立つ時、壮士は鳥の如く後ろへ飛び退《さが》る、竜之助は透《すか》さずそれを追いかける、受けて、また後ろへ飛ぶ途端に、無残や大の男は、石に躓《つまず》いて※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と横ざまに倒れる――この時まで壮士は足駄《あしだ》を穿いていたものです。倒れたものを、起しも立てず拝み討ち――誰が見ても、この運命はもうきまった、倒れたのが斬られる、倒れないのが斬る(事実は必ずしもそうであるまいが)――その決勝点で邪魔が入ったというのは、かの棒を持っていた変人が、
「待った!」
りゅうりゅうと片手で振った樫《かし》の棒に、仲裁無用の定規《おきて》を破らせたことであります。
五
竜之助と、薩州の壮士と、棒を持った変人と、三人の姿を山科《やましな》の奴茶屋《やっこぢゃや》の一間で見ることができました。三人まるくなって、酒を酌《く》みかわしながら、薩州の壮士|曰《いわ》く、
「不思議な流儀もあったもんじゃ、えたいが知れん、俺も一刀流の道場はたんと廻ってみたがな」
棒を持った変人は竜之助に代って、
「うむ、この人の剣術は一流じゃ、てこずらぬ者は珍らしいよ、関東の剣術仲間では音無しと名を取ったものでござる」
「なるほど音無し、音無しに違いはない、なんにしても珍らしい、関東には変ったのがある、ハハハハ」
高く笑う。
「西国にもずいぶん変ったのがござるようじゃ、貴殿のお差料《さしりょう》などもその一つ」
「うむ、これか」
壮士は、座右の長い刀を今更めかしく取り上げて、
「主水正正清《もんどのしょうまさきよ》じゃ」
「拝見致す」
型の如く鞘《さや》を払って、つくづくと見る、相州伝の骨法《こっぽう》を正確に伝えた薩摩鍛冶の名物。竜之助もまた傍からじっと見て、
「なるほど」
「国の習いで、抜けば鞘を叩き割るのが、血を見ずに鞘へ納まったは今日が初め、まあ仲裁ぶ
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