げ出した。近藤勇は、それを見たけれど、見のがす。
「おお、汝《おの》れは土方だな」
 重傷の中から、芹沢鴨は黒装束の一人を土方歳三と認める。大方その軽妙な身の働き、刀の使いぶりが、彼の眼に見て取れたからであろう。
「うむ、いかにも土方だ」
「卑怯《ひきょう》な! なぜ尋常に来ぬ、暗討ちとは卑怯な」
「黙れ黙れ、これが貴様の当然受くべき運命だ!」
 勢い込んだ一太刀が、芹沢の右の肩。
「むー」
 これは今までの傷のなかでいちばん深かった。芹沢はついに刀を持つに堪えなくなった。
「エイ!」
 左から来た沖田総司の一刀は、横に額から鼻の上まで撫《な》でる。
「おう――」
 芹沢は※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と倒れた、土方歳三は直ぐにそれにのしかかる。
「残念!」
 芹沢は土方に刃《やいば》を咽喉《のど》にあてがわれた時に叫ぶ。
「土方待て」
 近藤勇は進んで来て、
「芹沢、拙者《おれ》がわかるか、拙者は近藤じゃ、恨《うら》むならこの近藤を恨め!」
「おのれ近藤勇!」
 恨みの一言《ひとこと》を名残《なご》り、土方歳三はズプリと、芹沢の咽喉を刺し透《とお》してしまった。
「これ、お梅」
 藤堂平助は慄《ふる》えていたお梅の襟髪《えりがみ》を取って、
「よく見ておけ、これが見納めだ、貴様の可愛ゆい殿御《とのご》の最期《さいご》のざまはこれだ」
「どうぞお免《ゆる》し下さい」
「しかし美《い》い女だな」
「芹沢が迷うだけのものはある」
 藤堂と沖田とは面《かお》を見合せて、土方と近藤との方に眼を向ける。助けようか殺そうかとの懸念《けねん》。近藤勇は首を縦に振らなかった。
 沖田は女の弱腰《よわごし》を丁《ちょう》と蹴《け》る。
「あれ――」
 振りかぶった刀の下に、お梅は肩先から乳の下にかけてザックと一太刀、虚空《こくう》を掴んで仰《の》けぞると息は脆《もろ》くも絶えた。
 芹沢の屍骸《しがい》の上には、夜眼《よめ》にも白くお梅の身《からだ》が共に冷たくなって折り重なっている。
 近藤勇をはじめ四人は、そのままにしておいてこの場を引上げた。

 滑稽《こっけい》なことはその翌日、壬生寺《みぶでら》で、昨夜殺された芹沢鴨の葬式があったが、その施主《せしゅ》が近藤勇であったこと。勇は平気な面をして、自分が先に立って焼香もすれば人の悼辞《くやみ》も受ける。

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