引返して、がったりと倒れるように、
「ああ、豊さんまでが……」
と言って、またハラハラ。
亀山へ帰ると言うて出たお豊は、しばらくするとなぜか戻って来ました。廊下を忍び足に、もとの室のところまで来ると、障子の外に立って中の動静《ようす》に気を配るようでしたが、
「これまあ、真さん、お前は――」
障子押しあけ、飛びついた男の手には白刃《しらは》がある。男は脇差《わきざし》を抜いて咽喉《のど》へ突き立てるところでした。
「こんなこともあろうかと、胸が騒いでならぬ故、立戻って来ましたわいな、さあ放して」
「豊さん……どうでもわしは死なねば……」
「そんな気の弱いことがありますものか、遺書《かきおき》まで書いて、危ないこと、危ないこと」
女は男の手から脇差をもぎ取って、
「いまお前が死んだら、親御《おやご》たちや妹さんはどうします。わたしもこれでは帰れない、帰ることは止めにします。真さん、泊って行きます、今宵は泊めてもらいましょう、ゆっくり打明けて相談をしましょう、ね」
お豊は真三郎と一夜を語り明かし、どう相談が纏《まと》まったものか、その翌朝は二挺の駕籠を並べて、亀山へは帰らずに、
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