「そんなこととは少しも知りませんでした」
「亀岡屋は丸つぶれ……父母へなんともお気の毒、それに不憫《ふびん》なは妹のこと」
「お雪さんが……」
「あ、島原へ身を売ってしまったわい」
 男はホロホロと涙をこぼします。
「まあ、お雪さんが島原へ……」
 女は驚いて、
「も一度くわしく話して下さい、お雪さまはもう勤めにお出なされたか、島原は何という家で、それはお母様も御承知のことか」
「このうえ尋ねてもらうまい……ともかくそれで、わしが京へ帰れぬわけを察してたも」
 男は腕を深く組んで、しゃくり上げているようです。
 竜之助とは火縄の茶屋で別れて、この若い男女は参宮に行くでもないし、地蔵堂に近い宿屋の離れ座敷に、こうして打明話《うちあけばなし》をし合って泣いている。峠で竜之助を苦しめた雨は、ここの中庭の植込をも物柔《ものやわら》かに濡らしている。関の小万の涙雨は、どちらへ降っても人に物を思わせると見えます。

「どうしましょうねえ」
 今までなだめ気味であった女の方が、事情を聞いてから、いっそう力を落したようです。
「せめて妹の身を救うてやりたいが」
 暫くたって男の声。外では雨がじめじめ降
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