待ち合わせる約束であったとのこと。
 竜之助は、二人がこもごも申し述べるお礼の言葉を聞き流して、
「おのおの方は早くここをお引取りなさい、また悪者が立帰ると事が面倒《めんどう》じゃ」
「左様ならば」
 男は女を促《うなが》して、竜之助には改めて慇懃《いんぎん》にお辞儀をして、手を取り合わぬばかりに欣々《いそいそ》として立ち行く二人の後ろ影を、机竜之助は暫らく見送るともなく見送っておりました。
「おお、要《い》らざることに暇取《ひまど》った、老爺《おやじ》、茶代を置く」

         十六

 坂の下へ着いた時分には、坂も曇れば鈴鹿《すずか》も曇る、はたしてポツリポツリと涙雨です。
 この雨が峠へかかれば雪になる。雨になり雪にならずとも夜になるにはきまっている。鬼の棲《す》むちょう鈴鹿の山を、ことさらに夜になって越えなくとも、坂の下には大竹小竹《おおたけこたけ》といって、間口十八間、奥行これに叶《かな》う名代《なだい》の旅籠屋《はたごや》もあるのだから、竜之助一人を泊めて狭しとするでもなかろうに、他目《わきめ》もふらず、とうとう坂の下の宿を通り越してしまいました。これから峠へかかっ
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