て泣く。
「いいよ、いいよ、坊や、痛くはないよ、さあもう少し」
 やっとのことで創を洗って、膏薬を貼《は》って晒《さらし》で首筋を巻きました。
「もう泣くのではありません、坊やは強いからね」
 泣き止まぬ郁太郎を膝の上に、お浜自身も半ばは泣き声です。竜之助も、さすがに心配そうに郁太郎の面《かお》をながめていたが、そのうちに痛みが少しは退《ひ》いたのか、または声を泣きつぶしてしまったのか、郁太郎は母の乳房を抱えたなり少し静まってきたので、
「お医者様へつれて参りましょう」
「もう遅い、明朝《あした》のことにせい」
「いけません、手後《ておく》れになると大変ですから。それに、ほかの創と違って鼠に噛まれたのは、ことによれば生命《いのち》にかかわると申しますから」
 お浜はこの真夜中に、郁太郎をつれて医者へ往こうと主張する。
「よし、そんならわしが一走り、医者を迎えに行って来る」

 竜之助が医者を迎えに行ったあとでお浜は、
「にくい畜生《ちくしょう》だ」
 鼠というやつの憎さが骨身に徹《とお》って、取捉《とっつか》まえて噛み切ってやりたい。お浜は鼠を呪《のろ》いつめて仏壇の方を睨《にら》めて
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