また小声になって、何だか聞き分けられません。暫くあって、
「しからば拙者はこれでお暇《いとま》を致そう、貴殿もよくよく考えておき召されよ」
 芹沢はこう言い捨てて帰るらしいから、お浜もそこを起きようとすると、
「その宇津木兵馬とやらはどこにいる」
 立つ芹沢に問いかけたのは竜之助です。
「それは明かされぬ、それを明かしてはあったら[#「あったら」に傍点]少年が返り討ちになる。しかし、御用心御用心」
「うむ――」
 竜之助は押返して問うことをしなかったと見えます。

         三

「与八さん、わたしはこのお邸で死ぬか、そうでなければこのお邸を逃げ出すよりほかに道がなくなりました」
 とうとう我慢がしきれずに、お松は夜業《よなべ》をしている与八のところへ来てホロホロと泣きました。仕事の手を休めて聞いていた与八は、
「逃げ出すがよかんべえ」
 突然《いきなり》にこう言い出して、やがてあとをつづけて言うには、
「俺《おら》もお前様に力をつけて辛抱《しんぼう》するように言ってみたあけれど、どっちにしてもこのお邸は為めになんねえお邸だ、いっそのこと、逃げ出した方がいいだ」
「それでは与八
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