もどうぞ素直《すなお》に兵馬の手にかかって殺されて下さい、そうすれば、あれもこれも帳消し……罪ほろぼしとやらになりましょうから。ねえ、竜之助様」
 御成門外《おなりもんそと》で人の足音、増上寺の鐘。
「人殺し――」
 竜之助はついにお浜を殺してしまいました。

         十一

「あの声は――」
 今の絶叫を聞咎《ききとが》めたのは、御成門外で駕籠《かご》を捨てた宇津木兵馬の一行です。
「人殺しと聞えた」
 介添《かいぞえ》に来た片柳伴次郎が小首を傾ける。
「たしかにあの松原の中」
 兵馬は松原の木《こ》の下闇《したやみ》を見込む。
「見届けて来ますべえか」
 提灯《ちょうちん》を持った与八が松原の中へと進んで行く。松原の中へ入りこんだ与八、松の木にバッタリ、
「あ痛《いて》え」
 額《ひたい》を押えてみると、ぷんと血の香《か》。
「はて……」
 提灯を差しつけると、そこの松の木の根に人がある。
「えッ、人が――」
 それは女、胸のあたりからベットリと土にまで流れた血。
「皆さん、女が殺されている」
 大事の前、それでも人の一命と聞いて見過ごすわけにはいかない。
「ああ、酷《むご》たらしい殺され方」
「それ、血が袴《はかま》の裾《すそ》に」
「傷はどうじゃ」
「胸を一突き」
「もっと提灯を近く」
「ああかわいそうに。乳の下を突かれたのかね」
 提灯を突きつけてオドオドしていた与八は、
「おや、なんだか見たことのあるような女衆だ」
 与八は死人の面《かお》に自分の面を摺《す》りつけるようにして、
「もし……この女衆は……お浜さま……」
 不安の色で兵馬を見上げて、
「兵馬様……お前様もよくこの女衆の面を見て下さいまし、気のせいか、文之丞様の奥様に似てござる」
「ナニ、姉上に?」
 兵馬は附添の片柳と水島とを押し分けて、
「姿は変れどよう似てござる、念のため与八どの、この女の持物はないか、調べてくりゃれ」
「ここに短い刀が……書付が……あれ、こっちにも」
 与八が拾って兵馬に手渡したのは、意外にも自分の手から机竜之助に送った果し状でありました。
 次に受取った一通、
「なに、宇津木兵馬殿へ、はまより?」
 これはお浜の手ずから書いたもので、そして兵馬に宛てた手紙。

 机竜之助は果し合いの場へ出て来ませんでした。
 果し状をつけられながら逃げるというはこの上もな
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