いりよう》にしたいと思います」
「そうか」

 与八はお松から頼まれて、御成街道の小田原屋という武具刀剣商の店へ行ってその短刀を見せると、物言わず三十両に価《ね》をつけられました。たかだか二両か三両と思っていたのに、三十両とつけられて与八は暫らく返答ができないでいると、番頭は畳みかけて、三十三両と糶《せ》り上げ、与八に口を開かせないで、その金を押しつけるようにして短刀と引換えてしまいました。
 与八はその金を懐《ふところ》にして佐久間町の裏店《うらだな》へ帰って来て、
「みどりさん、いま帰った」
「おお与八さん、御苦労でした」
 見れば、みどりは、いつのまにか髪を島田に取り上げて、燈火《あかり》の影にこちらを見せた風情《ふぜい》は、今まで永く患《わずら》っていたのとうつり変って、与八の眼をさえ驚かすくらいの美しさに見えました。
「思いのほかいい値《ね》に売れました、この通り三十三両」
「まあ、あの短刀がそんなに」
「あんな短けえもので三十両もするだから、よっぽどいい品に違えねえ」
「それでは与八さん、御苦労ついでに道庵先生まで行ってお礼をして来て下さいな」
「ああいいとも」
「御飯《ごはん》の仕度が出来たから一緒に食べましょう」
「そうかい、お前様が仕度をして下すったかい」
 二人は膳《ぜん》を並べて、
「さあ与八さん、お出しなさい」
「どうも済みましねえ」
 ここで旅費も出来たから、二人はかねての望み通り沢井へ行って、与八はもとの水車番、お松はその傍で襷《たすき》がけで働くこと、その楽しい生活を想像しながら話し合って、食事を終り与八は、
「そんならお医者様へお礼に行って来るだ」

         六

「何だって、薬礼を持って来たって。薬礼を持って来たらそこへ置いて行きな」
 与八が訪ねて行った時、道庵先生は八畳の間に酔い倒れて、寝言《ねごと》半分に与八に返事をしています。
「先生、いくら上げたらいいだ」
「いくら? 十八|文《もん》も置いて行きねえ」
「十八文?」
 与八も変な面《かお》をして、
「半月もお世話になって十八文じゃ、あんまり安い」
「生意気なことを言うな、安かろうと高かろうとこっちの売物《うりもの》だ」
「先生、そんなことを言わねえで、本当の値段を言っておくんなさいまし」
「だから十八文でいいのだ」
「先生酔っぱらっていなさるからいけねえ」
「酔
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