う腕はないと、このように申し切っておりまする」
「それは御謙遜《ごけんそん》でござろう」
竜之助は木彫《きぼり》の像を置いたようにキチンと坐って、面《かお》の筋《すじ》一つ動かさず、色は例の通り蒼白《あおじろ》いくらいで、一言《ひとこと》ものを言っては直ぐに唇を固く結んでしまいます。女はようやく躍起《やっき》となるような調子で、頬にも紅《べに》がさし、眼も少しかがやいてきたが、
「もしもこのたびの試合に恥辱を取りますれば、兄の身はもとより、宇津木一家の破滅でござりまする。ここを汲み分けて、今年限り、兄が身をお立て下さるよう、あなた様のお情けにすがりたく、これまで推参《すいさん》致しました、なにとぞ兄の身をお立て下されまして」
女は涙をはらりと落して、竜之助の前にがっくりと結立《ゆいた》ての髪を揺《ゆる》がしての歎願です。
竜之助は眼を落して、しばらく女の姿をみつめておりましたが、
「これはまた大仰《おおぎょう》な。試合は真剣の争いにあらず、勝負は時の運なれば、勝ったりとて負けたりとて、恥《はじ》でも誉《ほまれ》でもござるまい、まして一家の破滅などとは合点《がてん》なり難《がた》き
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