当ると保証も致さぬ代り、きっと外《はず》れると請合《うけあ》いも致さぬ。愚老は卦面《けめん》に現われたところによりて、聖人の道を人間にお伝え申すのが務め、当ると当らぬとは愚老の咎《とが》ではござらぬでな……」
仔細《しさい》らしく筮竹を捧げて、じっと精神《こころ》を鎮めるこなしよろしくあって、老人は筮竹を二つに分けて一本を左の小指に、数えては算木をほどよくあしらって、首を傾けることしばらく、
「さて卦面《けめん》に現われたるは、かくの通り『風天小畜《ふうてんしょうちく》』とござる、卦辞《かじ》には『密雲雨ふらず我れ西郊《さいこう》よりす』とある、これは陽気なお盛んなれども、小陰に妨《さまた》げられて雨となって地に下るの功未だ成らざるの象《かたち》じゃ」
老人は白髯《はくぜん》を左右に振分けて易の講釈をつづけます。
「されども、西郊と申して陰の方《かた》より、陰雲盛んに起るの形あれば、やがて雨となって地に下る、それだによって、このたびの試合はよほどの難場《なんば》じゃ、用心せんければならん。が、しかし、結局は雨となって地に下る、つまり目的を遂《と》げてお前様の勝ちとなる、まずめでたい」
それから老人は易経《えききょう》を二三枚ひっくり返して、
「めでたいにはめでたいが、また一つの難儀があるで、よいか、よく聞いておきなされ。象辞《しょうじ》にこういう文句がござる、『夫妻反目、室を正しゅうする能《あた》わざるなり』と。ここじゃ、それ、前にも陽気盛んなれども小陰に妨げらるるとあったじゃ、ここにも夫妻反目とあって、どうもこの卦面には女子《おなご》がちらついている」
門弟連はまた興に乗って、妙な面《かお》をして老人の講釈を聞いていると、
「細君に用心さっしゃれ、お前様の奥様がよろしくないで、どうもお前様の邪魔をしたがる象《かたち》じゃ。夫妻反目は妻たるものの不貞不敬は勿論《もちろん》なれども、その夫たるものにも罪がないとは申し難い。で、細君をギュッと締めつけておかぬとな、二本棒ではいけない……」
これを聞いて門弟の安藤がムキになって怒り出しました。
「たわけたことを申すな、二本棒とは何じゃ、先生にはまだ奥様も細君もないのだ。若先生、こんなイカサマ売卜《うらない》を聞いているは暇つぶし、さあ頂上に一走り致しましょう」
これに応じて、若干の茶代と見料《けんりょう》とを置いて一行はこの茶屋を立ち去ります。
あとで宇津木文之丞は静かにこの茶屋を出ました。
これから頂上までは僅かの道のりで、二人の行く前後に諸国の武芸者が肩臂《かたひじ》を怒らして続々と登って参ります。
十二
東国の中でも武蔵の国は武道に因《ちなみ》の多い国柄であります。
武蔵という国号からが、そもそも武張《ぶば》った歴史を持ったもので、日本武尊《やまとたけるのみこと》が秩父の山に武具を蔵《おさ》めたのがその起源と古くより伝えられていますが、御岳山の人に言わせると、それは秩父ではない、この御岳山の奥の宮すなわち「男具那峰《おぐなのみね》」がそれだとあって、これを俗に甲籠山《こうろうざん》とも申します。御岳神社に納められたる、いま国宝の一つに数えられている紫裾濃《むらさきすそご》の甲冑《かっちゅう》は、これも在来は日本武尊の御鎧《おんよろい》と伝えられたもので、実は後宇多天皇の弘安四年に蒙古退治の御祈願に添えて奉納されたものだそうです。
さればこの山の神社に四年目毎に行わるる奉納の試合は関東武芸者の血を沸かすこと並々《なみなみ》ならぬものがあります。八州の全部にわたり、なお信州、伊豆、甲州等の近国からも名ある剣客は続々と詰めかけ、武道熱心のものは奥州或いは西国から、わざわざ出て来るものもあるくらいで、いずれの剣士もみな免許以上のもの、一流一派を開くほどの人、その数ほとんど五百人に及び、既に数日前から山上三十六軒の御師《おし》の家に陣取って、手ぐすね引いて今日の日を待ち構えている有様です。
以上五百人のうち、試合の場に上るのは百二十人ほどで、拝殿の前の広庭には幔幕《まんまく》を張りめぐらし、席を左右に取って、早朝、宮司の式が厳《おごそ》かに済まされると、それより試合は始まります。
さても宇津木文之丞は、程なく山へ登って来て、いったん知合いの御師の家に立寄って、それから案内されて神前の広庭に出向き、西の詰《つめ》から幔幕を潜《くぐ》って場へ出て見ると、もはやいずれの席もギッシリ剣士が詰め切って、衣紋《えもん》の折目を正し、口を結び目を据《す》えて物厳《ものおごそ》かに控えております。自分はそっと甲源一刀流の席の後ろにつこうとすると、首座《しゅざ》の方に見ていた同流の高足《こうそく》広沢|某《なにがし》が招きますから、会釈《えしゃく》して延《ひ
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