ものごころ》を覚えた頃になって、村の子供に「拾いっ子、拾いっ子」と言って苛《いじ》められるのを辛《つら》がって、この水車小屋へばかり遊びに来ました。その時分、水車番には老人が一人いた、与八はその老人が死んだ時はたしか十二三で、そのあとを嗣《つ》いで水車番になったのです。
 与八の取柄《とりえ》といっては馬鹿正直と馬鹿力です。与八の力は十二三からようやく現われてきて、十五になった時は大人の三人前の力をやすやすと出します。十八になった今日では与八の力は底が知れないといわれている。荷車が道路へメリ込んだ時、筏《いかだ》が岩と岩との間へはさまった時、そういう時が与八の天下で、すぐさま人が飛んで来ます。
「与八、米の飯を食わせるから手を貸してくれやい」
「うん」
 そして、大八車でも杉の大筏でも、ひとたび与八が手をかければ、苦もなく解放される。お礼心に銭《ぜに》などを出しても与八は有難《ありがた》がらない、米の飯を食わせれば限りなく悦《よろこ》ぶ、それに鮭《さけ》の切身でもつけてやろうものなら一かたげ[#「かたげ」に傍点]に三升ぐらいはペロリと平《たいら》げてしまいます。米の飯を食わせなくても、与八がそんなに不平を言わないのは、小屋へ帰れば麦の飯と焼餅とを腹いっぱい食い得る自信を持っているからであるが、ずるい奴が、米の飯を食わせる食わせるといってさんざん与八の力を借りた上、米の飯を食わせずに済《す》まそうとする、二度三度|重《かさ》なると与八は怒って、もう頼みに行っても出て来ない、その時は前祝いに米の飯を食わせると、前のことは忘れてよく力を貸します。
 与八が村へ出るのをいやがるのは、前申す通り子供らがヨッパだの拾いっ子だの言って、与八が通るのを見かけていじめるからです。それで水車小屋の中にのみ引込んでいるが、感心なことには、毎朝欠かさず主人弾正の御機嫌伺《ごきげんうかが》いに行きます。
「大先生《おおせんせい》の御機嫌はいいのかい」
 女中や雇男《やといおとこ》が、
「ああ好いよ」
と答えると、にっこり[#「にっこり」に傍点]して帰ってしまう。竜之助の父弾正は老年の上、中気《ちゅうき》をわずらって永らく床に就いています。

 竜之助から脅迫《きょうはく》されて与八が出て行くと、まもなく万年橋の上から提灯《ちょうちん》が一つ、巴《ともえ》のように舞って谷底に落ちてゆく。暫《し
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