様、ほんとうの話は、この頃こちらで奉公をしているけれども、やっぱり昔の山ん中がいいと思うからお邸を暇《ひま》を貰い申して帰るべえかと思ってるところでがす」
「まあお前、奉公が飽きたの」
「ああ、厭《いや》になっちまった、俺《おら》がには水車番が性《しょう》に合ってるだあ」
「そんなことは言わないで、いつまでも一緒に御奉公をしていておくれ、そして帰る時には、わたしを大菩薩峠まで連れて行って下さい」
 みどりの眼には涙が宿ります。与八はしばらく考えていましたが、
「お前様にそう言われると、俺もなんだかお前様を残してこのお邸を出かけるのが気がかりになるだ」

 与八は、みどりのために蔭《かげ》になり日向《ひなた》になって力を添え、みどりは与八与八と唯一《ゆいつ》の頼みにして、二人は兄妹《きょうだい》のように親しみを加えてゆきます。
 幸いにしてその後、みどりの身の上には格別の危《あぶ》ないこともなく、ほかの侍女《こしもと》どもが主人の寵《ちょう》を専《もっぱ》らにしておりますので、引込みがちで隠れた仕事をのみして日を送っておりました。

         二十九

「新徴組《しんちょうぐみ》」という壮士の団体は、徳川のために諸藩の注意人物を抑《おさ》える機関でありました。まず江戸市中に入り込む志士或いは浮浪の徒を捕縛し、手剛《てごわ》いのは暗殺する、これが「新徴組」の役目であります。
 神田柳原の金子という同志の家の一間で、凄《すご》い目つきをした十余人の新徴組が、朝から寄り集まってはささやき合い、一人出て行き、二人出て行き、また一人戻り二人戻り、何か打合せをしている。十一月の末で、今日はよほど寒い、天も朝からどんより[#「どんより」に傍点]としていたが、夕方からははたして粉のような雪が降りはじめました。
 寛永寺の暮六《くれむ》ツが鳴ると、最後に出かけた一人が立帰って、
「隊長、首尾は上々じゃ」
「それは大儀」
 隊長と呼ばれたのは水戸の人、芹沢鴨《せりざわかも》。
「杉山左京が邸を乗り出した駕籠《かご》が二|挺《ちょう》、その後ろのがまさしく清川八郎」
「確《しか》と?」
「相違ない、拙者は武兵衛《ぶへえ》にあとを頼んでおいた、急ぎ用意あって然《しか》るべし」
「心得たり」
 十余人が躍《おど》り立って用意の黒装束《くろしょうぞく》。
 一方には大盃《たいはい》になみ
前へ 次へ
全73ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング