気味です。そこで兵馬は思い切って一声、竹刀を返して竜之助が面をめがけて打ち込まんとする時、
「籠手《こて》!」
 竹刀の動く瞬間に、竜之助の竹刀は兵馬の籠手を打ったのです。
「籠手、よろし」
 島田虎之助は頷《うなず》きました。
 宇津木兵馬はつと[#「つと」に傍点]飛び退《しさ》って、また中段に構え直しました。
 竹刀の先わずかに動いたのみで兵馬の籠手を取った竜之助は、更に飛び込んで来るかと思うとそうではなく、前の通りの音無しの構えでじっと動かず。
 兵馬は小手調べを見事に失敗《しくじ》って、こっちから仕かけた軍《いくさ》に負けて一時ハッとしたが、この一手でおおよそ敵の手段のあるところがわかったらしく、退《さ》って中段に構えたなり動かず。
 かの御岳山上で、兵馬の兄とこの人とが決死の立合をした時の瞬間がやはりこれです。兵馬はこんなジリジリした太刀先に立つのがいやになった、得意中の得意の一手、
「突き!」
 兵馬の得意は諸手突《もろてづ》きです。今も最後に他流の大兵を突き倒したあの一手。
 と見れば竜之助の竹刀、突いた兵馬の竹刀を左に払って面! 兵馬の竹刀それよりも速きか遅きか突き! これは前のよりも一層深かった。尋常ならば相打ち。問題はいずれの刀がどれほど深いか浅いかであって、島田虎之助はそれを何とも言いません。
 それからはいつまで経《た》っても静かな音無し。ついに二人の立合は分けで終りました。
「島田先生に一太刀の御教導を願わしゅう存じまする」
 竜之助は面、籠手をはずした後、虎之助の前に膝行《にじ》り出でて言葉を卑《ひく》うして申し入れると、島田虎之助は、
「いや吉田氏とやら、貴殿は妙な剣術をつかいなさる、どこで修行なされた」
「親共につきまして小野派の一刀流を少しく学びました、それよりは別に師と頼みたる者もなく……」
「ははあ」
 島田虎之助は眼をつぶって夢を見ている体《てい》たらく。
「御高名の一手を御教授下し置かれたく……」
「…………」
 島田先生、いっこう竜之助の懇願《こんがん》に取合いがなく、閉眼沈思の姿でありますから、
「未熟者ながら先生の一太刀を……」
 繰返して願ってみても、何とも返事がなく、これもさっぱり張合いがありません。

         二十五

 宇津木兵馬が入門の初め、島田先生はこういうことを教えました。
 剣術は自得である。
前へ 次へ
全73ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング