》の役《えき》か何かのパノラマ館があったり、女役者一座の三崎座という小劇場があったり、それからその向い側に川上音次郎が独力で拵えはしたが借金のカタになったりして因縁附の「改良座」という洋式まがいの劇場もあってそこで裁判劇などを見たこともあったが役者の名前などは一切記憶していない、そこで新派劇というものを紀元的に見たのはこの東京座の「金色夜叉」をもって最初とする、たしかカルタ会の場面からなのだが何だかしまりのない舞台面で、書生ッポや若い娘共がガヤガヤ騒いだり、キャーキャー云ったりしている、歌舞伎劇のクラシカルな劇に幼少から見慣れていた眼にはあんまりぞっとしなかったのでこの暇と金をもって他の立派な歌舞伎劇を見ればよかったにと聊《いささ》か後悔しながらそれでも我慢して見て行くうちにだんだん面白くなって行った、当時我輩は金色夜叉をまだ書物では読んでいなかったと思うがその内容は或人から聞いて読みたいと心掛けていて果さず、劇で見る方が先きになったようなあんばいであった、併し、進んで行くうちに漸く感興を催して来て遂に高田実の荒尾譲介にぶっつかってしまったのだ、貫一は藤沢浅次郎であった、お宮は高田門下
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