に書きは書いたが、当人も自信がなく、俳優の幹部も余り気のりがしなかったようだ、そこへ余輩の「高野の義人」に眼をつけたのが高田実であった、何かのはずみに社中の伊原青々園氏に向ってこれを演《や》りたいものだと高田が云い出した、ということを余輩が伊原氏から直接に聞いたのが縁の始りであった。
これより先き我輩の高田実に傾倒するは古いものであった、いつの頃であったか神田の三崎町の東京座で――東京座といっても今の若い人達には隔世の歴史だが、当時は東京の三大劇場の一つで今の歌右衛門、当時の芝翫《しかん》が歌舞伎座に反旗を飜してここに立て籠《こも》ったこともあり、また我輩も先代左団次一座に先代猿之助だの今の幸四郎の青年時代の染五郎等の活躍を見たこともある、この劇場で偶然余は新派大合同劇を見た、芸題は「金色夜叉《こんじきやしゃ》」で登場俳優は今云ったような面触《かおぶれ》に中野信近などいったようなのも入ってその頃のオール新派と云ってもよろしい、余輩も新派の芝居というものの代表的なやつを纏《まと》めて見たのは多分これが初めてであったろうと思う年齢は十四五であったと思う、当時神田の三崎町には元寇《げんこう
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