伴《とも》をしてであったか、なかったか三越へ馬車(自動車ではなかったと思う)を乗りつけてそこから簡単に統監服のままで馬車へ乗り降りする処だけを見た、これも細かな表情などは少しも覚えていない、哈爾賓《ハルピン》で亡くなったのはそれから間もないことであった、それから原敬氏はこれも馬車であったか――たぶん箱馬車と思う――白髪に和服で悠然と納まり込んで走らせるのを見たし、都新聞の幹部会の時三縁亭の別室で一方には政友会の代議士総会があり、一方の別室に原敬と高橋|是清《これきよ》と野田卯太郎の三人が額を突き合せて話をしているのを見たことがある。
 軍人として、日本歴史上の名将東郷平八郎元帥の俤《おもかげ》をすら親しくは余は一度も見たことがない、乃木大将は或時士官学校の前から四谷の方へ出る処、荒木町であったか、あそこを通りかかった時にひょこひょこと質朴な老軍人が坂を上って来ると思ってよく見たらそれが乃木将軍であった、後ろに人力車を引き連れていたかと思う。
 明治、大正へかけての史上の大物としては余は目のあたり見たのは殆んどその位のものである、いやそれから大隈伯の演説は二三回聞いたことがある、山県公《
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