やまがたこう》は無論見ない、併し、好き嫌いという感情から云えば、世間に大いに好かれ人気の盛んであった大隈侯よりは、世間から悪く云われた山県公の方が自分は遙かに好きであった、なお、序《ついで》に云えば、山県系の嫡子として、やはり世間からビリケン呼ばわりをされて人気の乏しかった寺内元帥なども、自分は甚だ好きな人物の一人である、どうして好きかと問われると、何等の理由も事情も無いようなものだが、曾《かつ》て新聞にいて、ある部面を受持っていた時分、非常に些細と思われることであっても、事軍紀に関するような事ある時は、当時、陸軍大臣であった寺内氏は、必ず副官をして、それを説明或いは訂正をなさしめたものだ、それは必ずや副官達に心ある者があってするので無く大臣自身が、いかに新聞の隅までも眼を通して、そうして、細事をも粗末にはしないという用心が働いていることを、余は認めて、寺内さんという人はエライ、世間は非立憲だの長閥軍閥の申し子だのと悪評で充ちているけれども、なかなかそんな横暴一片の人ではないと、感心して、ひそかに寺内信者の一人になっていたまでの事だ。
 同じような意味で平田東助氏(後に伯爵)の事も云え
前へ 次へ
全86ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング