の世を去った。
それから政治家としてはグラドストン、ジスレリー、ルーズベルト、といったような人があり、芸術家方面ではロダンだのイブセンだのという人があるが、これは歴史的価値に於て前の人達とは大分に遜色があるようだ。
日本に於ては不世出の聖主明治大帝には蔭ながらにも親しく御俤を仰いだことの一度もないのは明治生れの自分として甚だ残念な次第である、それだけ自分の境遇というものが恵まれなかったのである。
それから明治の功臣としても日常写真顔で、もう別人ではない程に馴染《なじ》んでいながら親しく風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]を見たことも極めて乏しい、板垣伯は余輩が小学校時代自由党の総理として我が郷里へ鮎漁に来たのか招いたのか――したことがある、その時に政客や有志家達が夥しく押し寄せて来た中に板垣伯がナポレオン式のヘルメットのような帽子を被《かぶ》り、鮎漁の仮小屋に腰をかけ瘠《や》せたからだに長い髯《ひげ》を動かして周囲の者を相手に頻りに話しをしていたのを覚えている、件《くだん》の帽子を被っていたから人相はよく分らなかった。
それから、伊藤博文公は韓国統監時代に李王世子のお
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