きものが接近すべきものではないということと、それから劇評なんぞというものが如何にも興のさめたものだという感じに打たれて演劇熱が急転直下して冷めてしまった、新派もその後はやっぱり脚本に恵まれないで、当時の諸星が皆不遇のうちに空しく材能を抱いて落ちて行ったのだ。
 我輩はその後|数多《あまた》の小説を書いたし劇界からも可なりそれが興行方を懇請されたが一切断って劇と関係せず、大菩薩峠が出た後と雖《いえど》も劇の方は見向きもしなかったがそのうちに沢正事件というのが起って来た、此奴はかなりもつれたが未だにその真相を知っているものはあるまいから余り好ましくはないが次に一通り経過を書いて置いて見よう。

     演劇と我(2)

 自分の身のまわりのことを今更繰返して述べたてるのも嫌な事だがこの生前身後は、まあ我輩の自叙伝のようなものだから、くだらないものであっても記して置いた方がよいと思う、また、こちらでは詰らないことと思っても社会的には存外影響の大きかった事件もある。
 さてそんなわけで「高野の義人」の人気を一時期として我輩は芝居熱が全くさめてしまって、演劇は離れて見るもので近付いて自分が触れ
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