るべきものではない、と考えたが、その後も都新聞に小説は彼れ是れと執筆していたが劇の方には触れなかった、そのうちに東京劇壇は松竹が全部資本的に占領してしまった、「高野の義人」の時代に於てはまだ歌舞伎座の本城が田村成義の手で経営され、その後継者として新進歌舞伎菊五郎、吉右衛門等を中心とした当時の市村座が歌舞伎後継として控えている、それから少し後に、帝劇及び有楽座が出現する、例の新派の牙城本郷座も松竹に貸してはいたが、坂田庄太という人がまだ持主であったのだ、そういう中へ松竹が切り込んで来て着々と征服して行ったので、愈々《いよいよ》歌舞伎座を乗取る時などは悲愴な葛藤の起ったりしたのなども我輩は遠くで眺めていた、そうしてさしもの田村将軍なるものも既に老衰の境に入っている、東京の歌舞伎俳優は伝統の間に生き、門閥を誇ることの外には何もなし得ない、そこで歌舞伎へ行って見ても市村へ行って見ても吾々《われわれ》は更に何等の新しい迫力を感ずることが出来なかった、新派は前にも云う通り、その位だから活気ある舞台や興行振りは東京の劇壇では全く見ることが出来なかった、東京の劇壇は沈衰、瀕死《ひんし》の状態にいたので
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