しを聞かない、流石《さすが》の松竹も東京では駄目だろう歯が立つまいという噂が聞えた時代である、それと共にこんどの「高野の義人」もやっぱりいけないだろう、それというのが新派が今まで髷物《まげもの》をやって当ったためしがない、例えば高安月郊氏の江戸城明け渡しその他、何々がその適例だ、こんども享保年間の義民伝まがいのもの、それに作者は一向聞えた人ではなし――というのが一般の定評で、伊原君なども現にその説の是認者であったようだ、ところが蓋《ふた》を明けて見ると舞台が活気横溢、出て来る人物が何れも従来の型外れ、見物はかなり面喰ったようだ、そうして連日の満員続き首尾よく大当りに当ったのだ、松竹新派としても息を吹き返した形だし松竹が東京へ乗り出して来たこれが最初の勝利の合戦であった、そこで序幕の高野山の金剛峰寺大講堂の場が総坊主で押し出した、そんな因縁から大谷は、坊主が好きだというような評判がその後ずっともてはやされたものだ、そんなようなわけで我輩は今日まで大谷君に逢うと旧友に逢うといったような気持もするのである、併し、この一挙は成功したが、それから我輩は劇というものは離れて見ているもので、自分の如
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