彼が非凡なる一代の名優であることに随喜渇仰した次第である、併し高田の有ゆる演出のうち矢張り荒尾譲介が最も勝れていたと思う、それは原作そのものが優れていたのと相俟《あいま》って現われた結果である、当時紅葉山人もまだ達者でいて、あれを一見して聞きしに勝る名優だと折紙をつけたということが何かの新聞に出ていたが、事実あれならさしもむずかしやの紅葉山人も不足が云えなかったろうと、我輩も想像している。
今の幸四郎、当時青年俳優中の粋、高麗蔵《こまぞう》もあれに感服して、高田さんにあの譲介につき合ってもらって、自分が貫一をやりたいと云ったというような事も聞いている、その他数知れず演出した高田の芸品のうち何れも彼が絶倫非凡の芸風を示さぬものはないけれども、荒尾譲介ほどのものが産み出せないのは脚本そのもののレベルが高田の持つもののレベルと合奏しきれなかった点もあろうと思う、後の脚本は何れも高田の特徴を認めてそれを仕活すよう活かすようにと企てただけに聊か追従の気味がないではない、紅葉山人の独創と高田実の技量とが名人と名人との兼ね合いであるだけにそこに大きな融合が認められたわけでもあると思われる。
さて
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