た分もある、春秋社からも和製日本紙本を出しているから、それ等はさほど珍書とはいえない、著者の手製印刷本は前に云う通りルビが付いていない美濃紙四つ折刷の極めて粗末の印刷で、ところどころ不鮮明で読めないようなところもある。印刷発行の日付第一冊「甲源一刀流の巻」は大正―年―月―日印刷の同―日発行となって居り、第二冊「鈴鹿山の巻」は大正七年四月十日印刷の同二十五日発行となっている。
 それをまた誤って仮名のついた後に自由活版所や春秋社版と間違えて、これがその原本ではないかと余の処へ持ち込んで見せる人もあるが、成るほど和装日本紙ではあるけれどもそれは前にいう純粋な手製本とは全く違うのである、ところが、つい近日田島幽峯君が突然持ち込んで来た「鈴鹿山の巻」の一冊は確かにその手製本にまぎれもないから早速証明文を巻頭へ書きつけてあげた、もし諸君のうちで、それに該当するような書物をお持ちでしたら小生の許《もと》までお届け下さればいつでもその証明自署をしてあげる。
 とにかくそういう風にして第一冊第二冊は手製第三冊以下は自由活版所でたしか第十冊「市中騒動の巻」あたりまで進行させて行った処へ或日のことYMDC君がやって来て、春秋社がトルストイ全集で大いに当てた、更に多方面の出版に乗り出したい、就ては大菩薩峠を出版したいがどうだろうという話であった、自分としては最初は道楽ではじめたことも今となってはなかなか重荷であると思っていたところへこの話であり、又春秋社というのも相当に品位のある出版社であり、社主神田豊穂君という人もなかなかよい人である、どうだ相談に乗らないかという話であったから、それは乗れそうな話だ、よくこちらの心持ちが分って出版して貰えればお任かせ申してもよろしい、では二人で神田君を訪問しようということでその時分、たしか神田辺にあったと思う春秋社の楼上へ神田君を訪ねて話をきめてしまったのである、その時に出版について相当条件も話し合い、それから今までの紙型を神田君に引き渡し、そうして話を決めて帰って来た、神田君が梯子段の下まで送って来て、こちらから伺わなければならないのにお出で下さって恐れ入りますというようなことを云ったと覚えている。
 それから、春秋社の手にかかって洋装本と和装本と二通り出すことにした、洋装本の方は四六型で背中の処へ赤い絹がかかった紙板表紙であり、和装の方は大菩薩峠の
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