み出した時は、本郷元町あたりの紙型鉛版屋を探し出して少し取らせはじめて見たのであるが、何をいうにも一人で組んで一人で刷って一人でほごす仕事であるから能率の上らないこと夥《おびただ》しい、折角、勢い込んで自転車で毎日取り集めに来る紙型屋も手を空しゅうして帰ることが多いのでとうとう商売にならぬと諦めて引き下ってしまった、尤《もっと》もこの紙型鉛版屋もその時、大菩薩峠のことは知っていたと見えて、
「あゝ、この本は売れますぜ、ですが先生のような方が貴重な時間を割いて斯ういうことをなさるのは随分御損ではありませんか」
 と云ったのを覚えている。
 とにかくそういうようなわけで紙型屋を失望せしめる能率であるから遂に紙型なしで一冊をやり上げてしまって、それから第二冊目の「鈴鹿山の巻」に取りかかったのである。
 この巻は前の巻よりも紙数は少なかったが、兎に角同様にして一切合切手塩にかけてやり通した事は前と変りがない。
 しかし、もうそれ以上は労力が許さなくなった、そこで第三冊「壬生《みぶ》と島原の巻」からは自由活版所の岡君のところへ持ち込んだのである、そうして初めて本職の手に移し形式は前と同じことに和装日本紙にして第四冊「三輪の神杉の巻」第五冊「竜神の巻」第六冊「間の山の巻」第七冊「東海道の巻」第八冊「白根山の巻」第九冊「女子と小人の巻」第十冊「市中騒動の巻」までを出した、製本体裁すべて手製の第一冊第二冊と同じことだが、第三冊からはルビ付になっている点がちがう、それから第一冊第二冊もまた改めてルビ付にやり直して貰うようにしたと思っているが、兎に角一切合切手塩にかけてやり上げた珍物は第一冊「甲源一刀流の巻」と第二冊「鈴鹿山の巻」のフリ仮名のつかないのがそれである、然もそれは二百四五十部しかない処、大部分は東京市中へ出ている、それがやがて大震災に遭ったのだから、もし残存しているものがありとすれば非常な珍物中の珍物で後世の愛書家などの手に入ると莫大な骨董的評価を呼ばれるようになるだろうと思う、先年東日、大毎に連載する当時に、著者が神楽坂《かぐらざか》の本屋で一冊見つけ城戸元亮君に話をすると直ぐに自動車で一緒に駈けつけたが売れてしまっていた、新版のいいものが沢山出ている時代にあれを買った人は果して珍書であることが分って買ったのかどうか、この和製日本紙刷の玉流堂本にもあとで自由活版所にやらせ
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