それを自分も折ったり近所の人も頼んだりして折らせた、然し、製本は到底お手製というわけには行かない、これは近所の人の紹介で神田区の或製本屋へ頼むことにした、それから口絵は小川芋銭氏と井川洗※[#「厂+圭」、第3水準1−14−82]氏に頼むことにした、三度刷位の木版に注文して芋銭氏にはお地蔵様を描いて貰い、洗※[#「厂+圭」、第3水準1−14−82]氏には竜之助を描いて貰った、それを都新聞の木版彫刻師に頼んで刷り上げ、そうして製本に廻したのである。
 製本の好みとしては、紫表紙|和綴《わとじ》にして金で大菩薩峠の文字を打ち出すことにしたが、これがなかなか思うようには行かなかった、製本屋も本式の大量製産をやる店ではなかったので、なかなか迷惑がったようであるし、自分も亦《また》全く無経験者だから随分奔走した、それから美濃紙の買入についても本郷神田辺の紙屋を一軒一軒自分で聞いて歩いて品があると云えばその店へ坐り込んでその紙の質を一枚一枚吟味して見たりなどするものだから、紙屋でも苦い面をするようだったが、こっちはそれに気がつかなかった、そうしてあちらの店で一〆買い、こちらの店で一〆買って、可成《かなり》質の違わぬものを買い集めたものであったが、その経験によるとたしか一〆が三四円程度であったと思うが、それでも店によって一〆について一円も相場が違うようなことを発見し、商売というものはやっぱり坪を探すものだなということに気がついた、然し、一〆でそんなに値段が違うというのは自分が見ては質にはそんなに差はないと思ったけれども事実品質がそれだけ違うのか或いは取引とかストックとかの関係でそういうことになるものか、何にしても同じ商品でもそういう高低のあるものだというような知識は与えられたのである。
 さて、そうして第一冊の三百部正味二百五六十部の製本がすっかり出来上ってしまった、そうして都新聞の片隅に小さい広告を出し、一円の定価をつけて売り出したのである、本郷の至誠堂という取次店がこれを扱ってくれたが、永年の読者で直接注文もかなりあった、その注文者のうちにはこんな汚ない不細工の印刷では売り物になるものかといって小言をいって来た人もあったが、その粒々辛苦(或は道楽)の内容を知らないのだ、その汚ない不器用の出来上りが実は無上の珍物であるということを知ろう筈はない、その時は紙型はとらなかった、最初組
前へ 次へ
全43ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング