貰うべきこと、余には親類身寄りだからと云って特別に厚くしなければならないとは思っていない、然し多少に不拘《かかわらず》これ等の配分方法について醜い紛議等が生ずるのは不本位千万だから、矢張り隣人座談会へ常々出席の諸君の評議によって裁断して貰うのがよろしいと思う、これ等の諸君のうちから委員を選挙でもして貰って一切の処分をその人達に任せたら、どうかと思う、親類家族の人々よりも余は寧ろそういう方々に処分方の権を依頼したいものだと思っている。

 第七 余は死亡した時も格別広告や通知をして貰わないでよろしい、知った人だけが集って夜分こっそりとやってもらいたい、新聞雑誌に写真や記事を出すことは一切お断りするがよろしい、葬儀の宗旨は何でもよろしい、隣人葬とでもいうことにしていただきたい。

 第八 石碑、銅像、紀[#「紀」に「(ママ)」の注記]念碑の類は一切やめて、ただ大菩薩峠の上あたりへ「中里介山居士之墓」とでも記した石を一つ押し立てればよろしい、併し遺骸はなるべくゆったりとした構造の丈夫な寝棺に入れて、仰向けに寝かしたままゆったりと葬って貰いたい、穴へは多少金をかけてもよろしいから石造か何かにして置いて棺もその中へ十分ゆとりのあるように収めて貰い都合によっては入口をつけて制限的に棺側まで出入の出来るようにして貰いたいものだ、そうにするには棺も外部を石造か金属性で被《おお》わなければならないかもしれないし、棺の中にも何か防腐用剤を詰めて置く必要が出来るかもしれないが、かなり贅沢《ぜいたく》で費用がかかるかもしれないけれども自分に多少遺財がある限りこれは実行して貰いたい、墓標葬式等の費用は極度に切り詰めてもいいから、墓の内部だけは余裕綽々たるものにして置いて貰いたい、併し基督《キリスト》教式でするように死んだあとの面《かお》を見せて廻す事は厳禁する、棺の中へ入れてしまった以上は絶対に人に見せない事、要するに火葬その他肉体を消滅に帰せしむる方法は一切これを忌避し、肉体をどこまでも尊重してゆったりと据《す》えて置いて貰い、何時息を吹き返しても、さしつかえの無いようにして置いて貰いたいこと、これは戯れに云うのではない、どうも自分は死ぬのと眠るのとが同じように思われてならない、死んでも呼吸だけはしているように思われてならない、そこで特にこのことを御依頼して置くのである。

 第九 右の遺
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