むろざわ》と小金沢《こがねざわ》とを振分ける尾根を通って行くと枯れ落ちた林の中で三十貫もある鹿が小金沢の中に駈けて行ったのを見てすっかり厳粛な気持になったということ、そんなような話に一行を傾聴させて、さてこれから連嶺を南に縦走し熊沢の森林を分けて天狗棚山に登り、そこで再び展望の望蜀を晴らそうということに一決しました。
 最初に塩山から馬で出て来た中折帽の男は、そこで馬を塩山方面へ返し、一行とは離れてこれから武州方面へ小菅を指して下るといって一行に別れを告げました。
 道のりをいうと塩山から大菩薩峠の上までは四里。大菩薩峠の上より小菅まで三里強。小菅から小河内《おごうち》まで三里、小河内から氷川まで三里。氷川から青梅鉄道の終点である二俣尾まで四里。
 その晩、旅人は小河内の鶴の湯という温泉へ泊って翌日二俣尾から汽車で東京へ帰りました。

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改造社より創作一篇を寄稿せよとの希望なりけるが、本来、農を本業とするやつがれ、小説戯作を以て世にうたわるること恐縮の至りなり。さりながら顧命そむき難きままにこの随筆を捧げて以て責をふさぐ(大正一五、六、二)
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