》なる大和絵の数々は一行の人の心を陶然として酔わしむるに充分でありました。よって必らずしもこれより多きを望むことなく展望は空気の冴えた秋冬の候に再遊を期することに一行が、ほとんど同意し、そこで峠よりは少し右へ寄ってカヤトの中、持って来て置いたような面白い巌石の間に適当の座を占めて、そこで初めて行厨を開きました。
 制服の学生の山案内は委《くわ》しいものでありました。この青年は大菩薩連嶺を中心としての地理は猪鹿の通る細道までも心得ている様子であります。まさしくこの一行のために、自分も興味を以て東道の役に当ったもので、此処に来ると、談論風生の登山家連も一切沈黙してこの青年の謙抑な案内ぶりに聴従の外|術《すべ》なきもののように見えました。
 青年は大菩薩連嶺の南面と北面との景色が全然一変していること、南面もしくは西面はこの通りなだらかな美しい景色であるのに北側には怖るべき威圧と陰惨との面影があること、大菩薩峠の道に小菅大菩薩と丹波山大菩薩との二つがあること。大菩薩峠にも親知らずがある事、「雁《がん》ヶ|腹摺山《はらすりやま》」という名の如何にも古朴にして芸術味に富んだ事、いつぞや土室沢《つち
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