一人の少女の母親であったと、少年であった彼は聞いた。彼は花嫁姿の彼女を目前に見たように感じた。その彼の幻想に映じた彼女の姿は、ただ光り輝く眸《まな》ざしが深い印象を残した。そうしてその後、彼は夢のなかで、彼女に逢った。しかしその時、彼女は、その姿の消える瞬間に、朱の色をした顔へ形の大きな真白な眸を現わした。――彼は自分自身が怕《おそ》ろしいと思った。
 そうしてその後、彼の生活は一匹の虫の生活にも値しなくなった。彼は地上を這い廻った。彼は一種の処女機械のような成人になった。極く短い期間のうちに、彼の躯は陰鬱と恐怖と悲嘆との雲に覆《おお》われた。彼は純粋と情熱とを失った。――少年の智慧を失った。――疑惑は彼を捉えた。――そうして彼は、悲しくも彼自身を見失ってしまった。
 ―――――
 お柳が現れた。――あの女と全き「同一性」を持ったお柳は、忽然《こつぜん》として彼の目前を過ぎて行った。――お柳があの女の子としたなら。――年限から言ってもそんなことはあり得ない。――彼女自身?――彼は刻み込むような戦慄を感じた。――お柳とあの女との物柔かな声……蒼白い顔……頬の線……鼻そのものが宿す深い影…
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