白銅貨は、期せずして彼自身の悪い兆を予告されたようなものであった。しかし彼は奇妙な興味を唆《そそ》られない訳でもなかった。
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その日の午後遅く、太陽がまだ空に輝いていたころ、彼は自分の親友の家へ来て以来、はじめて外出する気持になった。
彼はそのへんの医者ではないが、人力車に乗ってみたいと思った。大たいこの考えは何処《どこ》から湧いて来たものか、彼自身にも解らなかった。それにしても妙な思いつきであると思った。これはてっきり彼が未だに暁の夢に憑《つ》かれている証拠ではないかと思われないこともなかった。彼は車へ乗ることを止めてしまった。
彼が半ヶ月も前まではよく歩きつけていたその通りへ彼自身の姿を見つけた時、彼は一種の暗示にかけられているのではないかと思った。その瞬間、彼は突然に思い出すことがあって、自分の路をもと来た方へ引き返した。そうして彼はいままでに一度か二度ぐらいは通り合せたことのある、その裏通りの密集家屋へ誘いこまれて、一歩毎にめりこむような路上を足早に過ぎて行った。彼は自分が逃れているという気持に逐いかけられていた――彼の行手は不意に妨げられた。母の手を離れた小
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