「うことになっている『日本科学年報』一九三七年版(改造社)が今回出版された(三七年六月)。この際多少自家広告をしておきたく思う。一月程前に出る筈だったのを、編集者側と出版者側との夫々の都合でおくれたので、文芸年鑑其の他よりも一月後になったのは残念だったが、来年度からは用意を手回しよくして出版の時期を早めたいと考える。
初め『年鑑』という名にする心算であったが、経費と時間との関係で便覧風の調査が出来にくかったので、もっとアカデミックな名の『年報』としたわけである。実際に編集に当ったのは唯物論研究会の多数の会員幹事達其の他であって、特に石原辰郎氏の努力を多としなければならぬ。ただ唯物論研究会の第一義的な仕事と銘打っては多少憚りありというので、岡氏と私との編集名義になったのである。すると岡氏や私などは少し割が合わないことになるわけだが、併し又、岡氏と私とだけで編集したらばこの程度のものには決してなれなかったのだから、吾々は(少なくとも私はだ)寧ろ得をしているものだということを告白する。
ここで科学というのは、独り自然科学だけではなく、社会科学(乃至歴史科学)と哲学とを含み、且つ芸術・文化
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