モ識を持っているのだから、不思議である。この古典を読むと、現代人の作品でもあるかのような気がするのだ。
[#改段]
9 歴史哲学の一古典
都合で一回休んだが、続けようと思う。私はこの頃類似アカデミシャンという言葉を使って見ている。本質に於て非大衆的なアカデミシャンであるに拘らず反アカデミーの意識を有つことによって、一応反逆的で進歩的な大衆味を有っている今日の若い優秀な自然科学者などをそれだと考える。併し文化理論家の内にもこのカテゴリーに這入る人が、最近の日本では特に多い。之を私は文化的自由主義者という風に呼んで見たことがある。私はこういう種類の人達には充分の共感を感じるものではないが、現在に於けるその役割のプラスに就いては、充分の尊敬を払うことが出来ると思う。多くの危険を顧みながらではあるが。
清水幾太郎氏(『人間の世界』をこの間書いた)などはその典型であるかも知れぬ。もう一人挙げるなら樺俊雄氏である。この人達を一種の社会哲学者とか歴史哲学者とか考えてもいいだろう。或いは文化哲学者とも云うべきだろう。今日の思想のポーズとしては、一つの大きな流れにぞくしている。その樺氏がJ
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